おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

自分の常識がみんなの常識でもないと思えば歳を重ねるのも楽かもしれない。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

休日の朝。
オープンと同時にスタバに行ったときのことです。
夏の強い日差しと朝の爽やかな風を感じるテラス席にいると、
中学生くらいの娘さんと、お父さんとお母さんの3人家族がやってきました。

 

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休日の朝のテラス席でのできごと。

 

トレイにのせられたカップがふと目に入ります。

トールサイズの紙コップが2つ。ひとつには豆乳シールが貼られています。
そして、ショートサイズのフラペチーノがひとつ。

何気なく目にしたその飲み物に私は、
フラペチーノが娘さん、豆乳シールがついた紙カップはお母さん、
と誰が出したわけでもないクイズの答えを勝手に心の中で答えていました。

 

さて、このシチュエーションで、
みなさんならこのクイズの答えをどう解きますか?

 

席に座ったその家族が3つの飲み物を振り分けた瞬間、
私は思わず声に出しそうになるのを抑え、心の中で大きく叫びました。

「え?!そうなの?!?!?!」

正解は、フラペチーノがお父さん、豆乳シールのカップが娘さんでした。

「まさかフラペチーノがお父さんだと思わなかった・・・。」

正解に驚き、そして、勝手に思い込んでいた自分にも更に驚きました。

ここで豆乳が娘さんだったことにもちょっと驚いています。

そして、勝手な思い込みに反省したのです。

 

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常識は常識でもない。

 

私の家では、「ふつう・・・じゃない?」という言葉はちょっとした禁止用語です。
その言葉を発した途端に、
「ふつうってなに?ふつうなんてないし」の返しがお約束です。

そんな自分の当たり前を他人の当たり前と思い込み、押し付けないよう気をつけているのですが、やっぱり自分の固定観念はなかなか拭えないものです。

それは、自分の生きてきた道を当たり前のように進んできているからです。

 

以前にこんなツイートをしたことがあります。

 

 

生れてから幼少期は、育てられた環境の中で常識(当たり前)は育まれていきます。
学生になると自分の生まれ育った環境が常識でもないことに気づきます。

社会人になり会社勤めをすると、社会人の常識はその中で育まれます。
そして、転職をしてみると、自分が教育された会社の常識は常識でもないことに気づきます。

親元から離れ一人で生活をすると、マイルールがどんどん生れます。
しかし、共同生活をすると、マイルールは当たり前でないと気づきます。

 

こんなとき、目玉焼きに醤油をかけるか、ソースをかけるか、ケチャップなのか論争なら、「へぇ~、そうなんだぁ」くらいの飲み会でちょっと盛り上がるよねという感じの話で終わります。
いろんな食べ方があるのねと、人それぞれを受け入れられます。

でも同じ些細な話でも、会社で使うコピー機、
前の人が使い終わった後リセットをしていなくて、
自分が使ったときに思うものがコピーできないと、ちょっとイラッとします。
「ふつうさ、次の人のことを考えて自分が使ったあとはリセットするよね」って、
自分の当たり前ができない他人を批判したくなります。

家の中でも、食器などの洗い物、
ためておくのが嫌な私はすぐに片付けたい。
でも少しゆっくりしてから片付けたい人もいる。
「ふつうさ、片付けを済ませてすっきりしてから休んだほうが気分いいよね」
って思ったりします。

こんなのは、自分がリセットを押してからコピーをすればいいし、
片付けをするタイミングもその人のペースで、絶対にそのときにやらないと大きな事故や事件になるわけでもない。

目玉焼きと同じくらい些細なことで、人それぞれなのねと思えばいいレベルです。

そして、もっといい例えをしたくて色々考えましたが、あまり思いつきません。

そう、思い出せないくらい大したことない自分の常識を、
みんなの常識と思い込んでいるのです。

 

なぜか自分に踏み込んだことになると、ストレスを感じたりします。

自分の常識が通用しなかった時、苛立つこともあります。

自分が思う方向に進まなかったり、自分が求めている返しがないことに、
腹をたてることもあります。

こういう時はなかなか人それぞれよねって受け入れるのが難しくなります。

我が強くなる。

自分が当たり前のように進んできた道が当たり前でなかったことに気づくと、
なんか納得できない自分がいたりします。

この自分の道は歳を重ねるごとに、私道から市道、国道と大きくなり、
ガードレールなんかもつけて、他の人の侵入を防ぎたくなっていきます。
そして、私の道を通るなら、私の常識が常識よねってなっていく気がします。
土道や砂利道から塗装されたコンクリートの道になり、
自分の常識が立派な気になったりします。

 

だけど、何でも目玉焼き論争くらいに人それぞれよねって思えば、
もっと生きやすくなるのかもしれません。

 

最近見たCMで気になるものがありました。

サントリーの「クラフトボス ストレートティー」のCMです。

みなさん、見ましたか?

この惑星では、思い込みを捨てるとスッキリする
という言葉で終わるこのCM。

「ふつうコーヒーだろ」という思い込みを「紅茶にすることで意見も変わるかもしれない」という会議の一幕をCMにしています。

 

「ふつう・・・だろ」

こう思わないようになった時、
柔軟な頭になり、視野が広がり、新たな自分を見つけられるかもしれません。

そして、自分の常識を覆した時、クリエイティブなものが生まれるかもしれません。

自分は自分と思え、自分らしく生きるきっかけになるかもしれません。

みんなの個性をもっと尊重できるようになるかもしれません。

 

常識も人それぞれと受け入れ、時代の流れとともに変化もすることを理解し、
上手に付き合っていくことが今を生きる私たちなのかもしれない、
そう感じる近ごろです。

 

さて、ヘッドマッサージをしてもっと頭を柔らかくしよう。