みなさん、こんにちは。やっこです。
誰でも皆、「らしく」を演じて生きていると思いませんか?
子供らしく、親らしく。
男らしく、女らしく。
長女らしく、長男らしく。
学生らしく、社会人らしく。
上司らしく、部下らしく。
夫らしく、妻らしく。
〇〇歳らしく。
「らしく」を上げていったらキリがありません。
もしかしたら、人はみな、いつも「〇〇らしく」という役を演じているかも?
って思ったんです。
それに、年齢での制限もしていますよね。
なにかあるごとに年齢が気になって、
「自分は〇〇歳だから」とか、「あの人、〇〇歳なんだ」とか、
「何歳」という役づくりをして、良くも悪くもそこに縛られているようです。
この「らしく」を演じることを無意識に意識してしまい、
そうした役づくりが「自分らしさ」を表現する邪魔をしているように感じます。
こうしなきゃ、こうじゃなきゃと、
自分の言動を決めているように感じます。
そうだとしたら、「らしく」の役を演じるのをやめた時、
自分はどうするだろう。
役のない自分になったら、私はどうな私なんだろう。
自分らしさや自分のやりたいことを見つけるのに、
役を降りることで見えてくることがあるかもしれません。
ですので、今回は、こう問いかけてみようと思います。
自分の「役」がなかった時、自分はどうしたいですか?
「役」って必要だと思いますか?
性別も年齢もありません。
社会での役もありません。
家庭での役もありません。
今日から「らしく」の役はありません。
役を演じなくても誰にも咎められることはありません。
そうなった時、自分がやりたいことを考えてみます。
<私がやりたいこと>
まず、時計での時間配分をやめます。
- 朝、自然と目覚めたときに起き、お腹が空いたら食事をし、眠たいときに寝る。
- 健康に良くないからとか、これが常識だからとか、余計な知識で行動しない。
- 疲れたと感じたら休むし、今やりたいことをやり、今やりたくないと感じたことはやらない。
- 体がなまっていると感じたら運動をする。
- 頭がなまっていると感じたら本を読む。
- 時間は自分のために使う。そして、余った時間を誰かにおすそ分けする。
- 人の流れを読んで行動するのをやめる。
- 人から動かされる「働く」ことはしない。自ら動き、働いていたい。
- 自分を表現することをしていたい。
- 笑いたいときに大きな口を開けて、あはははっと笑っていたい。
- 人を笑わせたい。
思うままにあげてみましたが、色々出てきました。
まだまだありそうです。
そして、気づきました。
「あれ?意外と出来なくないことばかり!?」
自分勝手でわがままな行動になるかも、世間の流れに乗っていないかも、
と思っていましたが、それもまた個性。
出来なくもないことを「らしく」の役をかっこよく演じたくて、
出来ないと思い込んでいたかもしれません。
そもそも「らしく」の役って、
最初は自分でやりたいと思って決めた場合もあります。
なのに、時間が流れていくうちに、勝手に役をつけられたかのように、
窮屈に感じてしまう、自分でつけた役なのにね、って思いますし、
周りから「らしく」を強要されていると勘違いしている場合もあるかもしれません。
女性らしさは誰が作り上げたの?
そもそも男性が存在するから女を意識するのですが。
自分という一人の人に、
性別はアロマオイルを1、2滴垂らすくらいのアクセントに思えばいいのでは?
と思っています。
幼い頃、よく「子供らしくない」と言われたけど、子供らしくって何かな?
無邪気な子もいれば、大人顔負けの冷静さや賢さを持った子もいる。
子供らしさって大人から見た、ただのイメージや理想像でしかないかな
って思います。
「大人らしく」もそう。
大人だってまだまだ成長過程。
〇〇歳だからここまで出来ているなんてノルマみたいなのはない。
それぞれ歩んだ道や経験も違う。
20歳になったからここまで出来ているよね、なんて足並みを揃えられないし、
揃えなくてはいけないこともないかなって思います。
上司の新人もいれば、部下の新人もいる。
まだまだこれからよって気持ちでいれば、
肩書の鎧をつける必要はないよねって思います。
それでも現実と理想の間に立っています。
自分ひとりで生きるのなら出来なくないことも、
共存するための配慮や、誰かを思っての役は必要な時もあります。
全く役を降りることはできないかもしれません。
それでも役は演じるものではない、一つの役にも個性があると思えたなら、
もっと楽になるかもしれません。
年齢を重ねていくごとに役が増えて複雑に感じた時こそ、
削ぎ落としていく意識をする。
シンプルに考えてみる。
みんながシンプルな生活を目指すのも、
それはきっと、シンプルな頭でいたいってことなのかなって思います。
そして、演じようとする役ではなく、自然と表現できた時、
自分らしさを見つけられるかもしれません。