おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

人生は、年を取り、歳を重ねていく。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

年を取る歳を重ねると表現するようになった近ごろ。
取るというとなにか奪われていくような気がしてあまりいい気はしないし、
重ねるというと積み重ねてプラスしていく感じがして、あえて使っています。

そういえば、年を食うなんていう言い方もありますね。
食われるのも嫌だなと思う反面、余計なものを食ってくれるなら、
それもまた良し!とも思わなくもありません。

とすると、取るも重ねるもどちらも必要な気がします。

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年を取り、歳を重ねる。人生には両方必要。

 

年を取るということ

言葉の意味としては年齢を加えることを年を取るといいますが、
よく言葉にする「年を取ったなぁ」は「老けたなぁ」という意味で使うことがほとんどで、老いにより今まで出来ていたことができなくなっていく気がして、年齢に奪われていくように感じます。

でもそれはたいてい肉体的なことだと思うんですが、では精神的にはというと、精神的に老いるか老いないかって自分次第なところもあって、年を取って肉体的に奪われたことが精神的にも奪われたと勘違いしていることがあります。
「年を取ったな」を理由に、できなくていいと自分を肯定しているかもしれません。

そう、肉体的には奪われたと感じるかもしれませんが、精神的には自ら削ぎ落としていっているのだと思います。

年を取るってそういうことかなと思います。

 

年を取ることは悪くない

30、40、50、60と、歳の節目に肉体的衰えを強く感じることがあります。

そんなことをある知人と話していたら、こんなことを言っていました。

「そんなの最初はびっくりするかもしれないけど、だんだんと慣れていくものよ。こんなもんかなって受け入れられるようになるのよ。年を取るのなんて慣れよね。」

なんともたくましい言葉、そう感じました。

年を取ったな、嫌だなとただマイナスに思うだけではなく、そんなもんよねと受け入れるほうが気が楽かもしれません。
この気楽な感じ、肩の力が抜けた感じが年を取り削ぎ落とされていくことかもしれません。

老化によりできなくなることも増えてくるかもしれませんが、それによって、いい意味で削ぎ落とされていくことにも繋がっていきます。

そしてだんだんと自分がシンプルになっていきます。

 

年を取り削ぎ落としてシンプルを目指し、
歳を重ね、また複雑化する

経験が増え、知識が増え、色々知りすぎて年齢とともに複雑化する、物事を複雑に考えてしまいがちです。
でも物事は結構シンプルだったりして、ごちゃごちゃになった色とりどりの毛糸玉を1本1本ほぐし、良し悪しを見定め、削ぎ落とし、シンプルにしていきます。(年を取る)

でも一方で、精神的な老化や脳の老化を避けそうと向上心や好奇心を持ちます。
そうすると、欲も増してきます。(歳を重ねる)
今度はシンプルと程遠くなっていきます。

この繰り返しです。

結局、人は年を取ることも歳を重ねることも必要なのかもしれません。

 

服への思いがいい例です

例え話は、私にとってはやっぱり服の話が一番わかりやすいですね。

年を取り、似合う似合わないがはっきりしてきたし、自分スタイルを確立し始めています。そのため、あれもこれもと手を付けることもなくなり、色んなタイプの服を持つことで複雑になっていた私のスタイルもだいぶシンプルになってきました。

年を取っていい意味で削ぎ落とされてきました。

しかし、ときに私の好奇心と向上心がまた複雑にしていこうとするんです。
新たなものに挑んで知識と経験を増やそうとします。
そうすると、またシンプルが遠ざかっていきます。

その繰り返しです。

せっかく自分スタイルができたのに欲をかいたなと、増える服にうんざりすることもあるかもしれません。

でもそれでいいんだと思います。

これこそが年を取り、歳を重ねることだと思います。

自分らしさを一度見つけてとどまるだけでは、歳を重ねることにはならない気がします。

シンプルと複雑を繰り返し、自分を模索してこそ、生きる醍醐味なのかもしれない、と感じています。

 

歳の重ねかたを教えてくれた人

先日、病院の待合室で車椅子に乗った80歳の女性と隣になりました。
(年齢は本人が言っていたので)
どうやら転んで頭を打ってしまったようで検査に来ていました。
待ち時間、とてもおしゃべり好きなその人と施設の人との会話が聞こえてきます。

その人は左腕を失っていました。

診察から戻ってきて、施設の人が「なんともなくてよかったね。右腕も心配だったけど。」と言うと、その女性は、
「私は強いから大丈夫。いろんなことがあって左腕がなくなって、この右腕だけで今までやってきたんだ。この右腕は強いんだよ。こんくらいならたいしたことない。それをここの医師は私を見てわかったんだ。だから大丈夫と言ったんだよ。」
とても力強く話していました。

私はその時、年を取り、歳を重ねていることをリアルに感じました。

エネルギーを感じたのです。

このエネルギーこそ歳を重ねることなのかもしれない、そう思う出来事でした。

 

 

年を取り、白髪が増えた自分の頭を見ていると、黒髪より白髪のほうが力強く生えていることに気づきます。
黒髪に馴染むことなく、動じずに、まっすぐに顔を出しています。

そうだ、そういうことよね。

年を取っても私たちは力強く生きているんだ。

そう教えてくれているような気がします。

 

年を取り、歳を重ねていく。

そこに面白みを感じます。