おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

組織のはみ出し者が生まれる理由はこの本が教えてくれるかもしれない。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

さて、前々回の記事で私は、組織のはみ出し者なった話をしました。
よろしければ、こちらも合わせて読んでみてください。

create-oba.hatenablog.com

 

そんな私がまず読んだ本がこちらです。

 

 

このタイミングで読んだのはかなり有意義でした。

組織のこと、そして自分のこと、当てはめながら読みすすめると、理解が深まった気がします。

せっかくなので、本の内容から考える私なりの分析を綴っておきたいと思います。 

 

 

『欠乏』が与える影響

時間の活用法を伝授してくれるのかと勘違いしがちなタイトルですが、
この本のテーマは『欠乏』です。

人は『欠乏』を起こすと(余裕のない、足りない状態)、どのような状態になり、どうのような行動を起こすのかが書かれています。

欠乏』がプラスに働くと『集中ボーナス』(集中力が高まる)を獲得し、素晴らしい力を発揮することができ、マイナスに働くと『トンネリング』(トンネルの中にいるような状態)を起こし、一つのことしか見えなくなって大切なことを見逃してしまうといいます。

トンネリング』は脳の処理能力に負担がかかるため、抜け出したくても抜け出せない状況に陥ってしまいます。
欠乏』が『欠乏』を生んでしまいます。

そのため『スラック』というゆとりや遊びを与えることが大切だと書かれていました。

 

 

さて、本の内容から今回の出来事を振り返っていきたいと思います。

 

f:id:create_oba:20210825113324j:plain

あえてゆとりを作ることが大切

 

 

 

 

処理能力はみんな同じではない

処理能力は人によって異なりますし、それぞれの範囲内でどう使っていくか、それもまた人それぞれです。
その人が生きる上でどこに、そして何に比重を置くか、また負担がかかるかは、みんな同じではありません
個を大切にすることを考えると、理解をしなくてはならないところです。

 

実はみんなあえて『スラック』を作っていた!?

組織の中で、見て見ぬふりをしたり、良くも悪くも流すことを熟知している人たちは、処理能力の余裕、『スラック』をあえて作っているとも考えられます。

その『スラック』は何のためか。
生活のためなのか、趣味のためなのか、育児、家事、介護、ボランティアなどなど、仕事以外のための『スラック』なのかもしれません。
または、急な仕事のための『スラック』なのかもしれません。

 

その人の大切なことのために『スラック』を作る

例えば、ブログを書くのも『スラック』は必要だと感じます。
時間の余裕もそうですが、頭が思うように整理されていないとなかなか進みません。
もしブログにもっと比重を置きたいと思ったら、他での負担を減らせばいい、あえて『スラック』を用意すればいいということになります。
そのために仕事に処理能力の負担をかけすぎない、というのもひとつの方法ともいえます。

処理能力に負担のかからない方法、効率よく進める手段を考えることも大切です。
頭、身体、心、どこかだけに負担がかかりすぎないように、仕事をすすめる順番も大切です。

ライフ・ワーク・バランスを考えると、仕事だけに処理能力の負担をかけずに『スラック』をつくることは豊かさに繋がる気がします。

 

プライベートに処理能力の負担が大きかったら?

もし仕事以外のことに負担が大きい状態だったらと考えます。

そのことに集中し、そのことしか考えられないような『トンネリング』を起こしていたとしたら、仕事はトンネルの外にあったら、見て見ぬふりでもないのかもしれません。
見えていないだけとも考えられます。

仕事中は仕事に集中しなよとも思わなくないかもしれませんが、その人にとってはそのことが何よりも大切なことなのかもしれません。

または、人それぞれの処理能力を考えると、自分の手元の仕事だけで『トンネリング』を起こしているとも考えられます。

生産性が落ちている原因はさまざま。そして人によりけり。
みんなが同じ熱量を持っているわけでもないし、持てるわけでもない、生活パターンも違う、重要度も違う、そのことは個を大切に思えば、理解をしたほうがいいのかなと感じています。

 

この問題はだれが向きあうのか

人によって処理能力の高低はあるし、ワーク・ライフ・バランスの考え方も違う、このことに理解を示したとき、私が周囲に苛立ちをあらわにするのは何だか違う気がしています。
そのことはなんとなく理解ができていたからこそ、私は無心で仕事と向き合っていました。

そしてこの問題に誰が向き合うべきか、誰に向き合ってほしいか、その答えは誰もがわかるはずです。

まさしく組織です。

 

経験した組織の中で

これはあくまで私が経験した組織での話ですが、

中小企業では即戦力を求め、大抵が中途採用です。
私の知る組織では、新卒を育てている時間も人の余裕もないといいます。

とすると、ある程度の社会経験がある、知識がある前提での採用ですし、教育というのものを省くので、たとえ一般的な社会常識が出来ていない、なんてことがあるとしても、そこは教えてはくれないし、スタート地点が人によってまちまちです。

まちまちだからこそ、補い合うことが出来れば力を発揮しますが、コミュニケーション不足ですと溝は深まります。

スタート地点が違い、そして進み方も違います。状況も常に変化します。
人は同じではありません。

色んな人がいる中で、同じ熱意で同じ時間を同じようにやることを良しとし、そういうルールをつくり、ルールにはめたがろうとします。
フィットする人ならいい。
でも型に隙間ができる人やはみ出したりする人ももちろんいて、息苦しさを感じている人もいます
その息苦しさを組織は不出来と判断します。

出来ないと分かるとどうなっていくか、出来る人に任せます。
同じルールの中で出来ている人だけでなんとか回そうとします。

 

そんな状況の中でわたしは・・・

さて、私が『欠乏』の罠にハマった理由は明らかです。

集中ボーナス』と『トンネリング』を同時に起こし、『スラック』を作り出せないくらいに処理能力に負担をかけたのは、誰でもないが始めたことです。

そもそも(欠乏を起こす前から)私は、この組織からはみ出していたんです。私は欲張りですから。

一つの仕事を薄く薄く引き伸ばし、時間をかけ、時間でお金を稼ぐことに、疑問を抱いていました。

あれもしたいしこれもしたい、やりたいことはたくさんあります。
時間の隙間がもったいないと感じることもあります。

そのため、8時間の拘束時間さえ長い、といつも嘆いていました。
そのうえ、時間外労働なんて考えられません。せめて労働時間内で終わられたい、その気持ちが大きかったんです。

少しでも時間を節約するために、時間の余裕を作るために、頭をフル回転させていました。すると、時間の『スラック』を作った私のもとには、次の仕事がやってきます。

そうするとまた『スラック』を作ろうと、更に頭をフルフル回転させます。

その上、社内の進行に大幅な変更があったこともあり、時間制限が課せられるようになりました。日々、あおられながら仕事をすることが増えてきました。

その状況に不満が少しずつ蓄積されていきます。

ここでおとなしくしていたわけでもありません。
出来ないときは出来ないと伝えたこともあります。
しかし私の主張は流されていきます。

組織の中で何の疑問も抱かない人はいないと思います。
でもその疑問を持ち始めたらキリがありません。
不満なんて言い出したらキリがありません。
そして組織の中にいる以上は、ある程度の辛抱は必要だとも思います。

あまり聞き入れてもらえないのなら、やるべきことをやる、仕事に集中することを私は選んだんです。

 

これが『欠乏』の罠です。

 

処理能力の限界が来ました。

そうすると、今までにしたことがないようなミスをするようになりました。
それは仕事でも生活でもです。

自分の中で一番驚いた出来事は、家の調味料をストックしている場所から、塩のストックが4袋出てきたことです。
きっとみなさんもストックしているのを忘れて同じものを買ってしまった経験はあると思います。
私もたまにやってしまうありがちな出来事ですが、今回私は買ったことを4回とも全く覚えていません。
4袋あることを指摘されて初めて気づいたんです。

この時私は、自分の限界を感じました。

些細なことかと思うかもしれません。
でもこの些細な違和感は、「あなたは限界よ」というメッセージだと感じたのです。

ワーク・ライフ・バランスを崩していては意味がありません。

そう思った時、私は白旗を上げました。

 

今回の原因を整理すると

みんなが見て見ぬふりをして手放していたものを私にはそれが出来ずに、拾い集めていたこと、そして集中することで、気づかないふりをしている人たちを自分の視野に入れないようにしていたこと、処理能力の限界寸前まで追い詰めたこと、これは私が犯したミスです。

スラック』の大切さを甘く見ていました。

そして、それを気づかないふりをしていた、流していたのは、組織のミスです。

結局、組織の長たちも『トンネリング』を起こしているのか?とも考えます。
そこまで考えるとまた違った見解が出てきそうですが、それはまた話が長くなりそうなので、今回はやめておきます。

それ以前に、表向き平等に見えるルールをつくり、そこに個を強引に当てはめて、平等な雇用をしているかのように見せかけていることが、不平等になっているのでは?と考えられます。

そして何より、『スラック』をあえて作っておくことをしたがらないからです。

同じルールに個を当てはめることが平等ではありません。
個を見て、適切な条件で、臨機応変な考えと、あえて作る余裕が、必要だと感じています。

 

さいごに

今回、『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』を読んで分かったことは、『スラック』です。

自らも『スラック』をなくし、そして組織も『スラック』を良しとしない環境が、はみ出し者を生みました。

 

がむしゃらに働くの意味も変化しているなと感じる時があります。

若い頃の苦労は買ってでもせよ、なんて良し悪しだなと思うことがあります。

自分の限界を知ることでキャパを広げることも、危険を含むような気がしてきます。

 

今は何より『スラック』が大切なのかもしれないと改めて実感しました。

 

 

最後に、この本の中で引用されていた言葉です。

真に有能な労働者は、一日が仕事でびっしり埋まっていることはなく、ゆとりとくつろぎのオーラにすっぽり包まれて仕事にぶらぶら歩いていく

ーヘンリー・デイビッド・ソローの引用句(『コンコード川とメリマック川の一週間』山口晃訳、而立書房)