おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

役のない自分になった時、私はどうするだろう。「らしく」を演じるのをやめよう。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

誰でも皆、「らしく」を演じて生きていると思いませんか?

 

子供らしく、親らしく。
男らしく、女らしく。
長女らしく、長男らしく。
学生らしく、社会人らしく。
上司らしく、部下らしく。
夫らしく、妻らしく。
〇〇歳らしく。

 

「らしく」を上げていったらキリがありません。

もしかしたら、人はみな、いつも「〇〇らしく」という役を演じているかも?
って思ったんです。

 

それに、年齢での制限もしていますよね。

なにかあるごとに年齢が気になって、
「自分は〇〇歳だから」とか、「あの人、〇〇歳なんだ」とか、
「何歳」という役づくりをして、良くも悪くもそこに縛られているようです。

 

この「らしく」を演じることを無意識に意識してしまい、
そうした役づくりが「自分らしさ」を表現する邪魔をしているように感じます。

こうしなきゃ、こうじゃなきゃと、
自分の言動を決めているように感じます。

 

 

そうだとしたら、「らしく」の役を演じるのをやめた時、
自分はどうするだろう。

役のない自分になったら、私はどうな私なんだろう。

 

自分らしさや自分のやりたいことを見つけるのに、
役を降りることで見えてくることがあるかもしれません。

 

ですので、今回は、こう問いかけてみようと思います。

 

自分の「役」がなかった時、自分はどうしたいですか?
「役」って必要だと思いますか?

 

f:id:create_oba:20210520110625j:plain

自分らしさを見つけるには、まず「らしく」いる自分をやめてみる。

 

 

性別も年齢もありません。
社会での役もありません。
家庭での役もありません。
今日から「らしく」の役はありません。
役を演じなくても誰にも咎められることはありません。

 

そうなった時、自分がやりたいことを考えてみます。

 

<私がやりたいこと>

まず、時計での時間配分をやめます。

  • 朝、自然と目覚めたときに起き、お腹が空いたら食事をし、眠たいときに寝る。
  • 健康に良くないからとか、これが常識だからとか、余計な知識で行動しない。
  • 疲れたと感じたら休むし、今やりたいことをやり、今やりたくないと感じたことはやらない。
  • 体がなまっていると感じたら運動をする。
  • 頭がなまっていると感じたら本を読む。
  • 時間は自分のために使う。そして、余った時間を誰かにおすそ分けする。
  • 人の流れを読んで行動するのをやめる。
  • 人から動かされる「働く」ことはしない。自ら動き、働いていたい。
  • 自分を表現することをしていたい。
  • 笑いたいときに大きな口を開けて、あはははっと笑っていたい。
  • 人を笑わせたい。

 

思うままにあげてみましたが、色々出てきました。
まだまだありそうです。

そして、気づきました。

「あれ?意外と出来なくないことばかり!?」

自分勝手でわがままな行動になるかも、世間の流れに乗っていないかも、
と思っていましたが、それもまた個性。

出来なくもないことを「らしく」の役をかっこよく演じたくて、
出来ないと思い込んでいたかもしれません。

 

そもそも「らしく」の役って、
最初は自分でやりたいと思って決めた場合もあります。
なのに、時間が流れていくうちに、勝手に役をつけられたかのように、
窮屈に感じてしまう、自分でつけた役なのにね、って思いますし、
周りから「らしく」を強要されていると勘違いしている場合もあるかもしれません。

 

女性らしさは誰が作り上げたの?
そもそも男性が存在するから女を意識するのですが。

自分という一人の人に、
性別はアロマオイルを1、2滴垂らすくらいのアクセントに思えばいいのでは?
と思っています。

 

幼い頃、よく「子供らしくない」と言われたけど、子供らしくって何かな?

無邪気な子もいれば、大人顔負けの冷静さや賢さを持った子もいる。
子供らしさって大人から見た、ただのイメージや理想像でしかないかな
って思います。

 

「大人らしく」もそう。

大人だってまだまだ成長過程。
〇〇歳だからここまで出来ているなんてノルマみたいなのはない。
それぞれ歩んだ道や経験も違う。
20歳になったからここまで出来ているよね、なんて足並みを揃えられないし、
揃えなくてはいけないこともないかなって思います。

 

上司の新人もいれば、部下の新人もいる。

まだまだこれからよって気持ちでいれば、
肩書の鎧をつける必要はないよねって思います。

 

それでも現実と理想の間に立っています。

自分ひとりで生きるのなら出来なくないことも、
共存するための配慮や、誰かを思っての役は必要な時もあります。

全く役を降りることはできないかもしれません。

それでも役は演じるものではない、一つの役にも個性があると思えたなら、
もっと楽になるかもしれません。

 

年齢を重ねていくごとに役が増えて複雑に感じた時こそ、
削ぎ落としていく意識をする。

シンプルに考えてみる。

 

みんながシンプルな生活を目指すのも、
それはきっと、シンプルな頭でいたいってことなのかなって思います。

 

そして、演じようとする役ではなく、自然と表現できた時、
自分らしさを見つけられるかもしれません。

老化もユーモアでふっ飛ばせ!歳を重ねるとともに必要なのはユーモアでした。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

先日、コーヒー豆を買いに行ったときのことです。

 

少しまとめ買いをしたので、豆を挽いてもらっている間、
しばらくお店の外で出来上がりを待っていました。

 

そこに、可愛らしい人がグラインドしたコーヒー豆を
持ってきてくれました。

 

品物の確認のために、商品名を読もうとしたとき、

「おっと、ちょっとまってくださいね。メガネだわ。
もうこれがないとだめなの。えへへっ。」

可愛らしく微笑みながら、
胸元のポケットから老眼鏡を取り出しました。

その素敵な微笑みにつられて、私も微笑みました。

 

なんてチャーミングなんだろう。

 

チャーミングという言葉を久々に使った気がしますが、
その人が微笑んだ瞬間、
チャーミングという言葉がすぐに私の感情として表れてきました。

もちろんマスク顔なので、顔は半分しか見えていませんが、
微笑む表情がマスクの中から浮かび上がってきました。

それくらいチャーミングがピッタリな魅力的な人です。

そしてユーモアがある人だなと感じました。

 

老眼鏡をかけることをチャーミングに表現する、
老化をマイナスに捉えすぎずに受け入れ、楽しめているように感じました。

 

こんなユーモアは年齢を重ねるとともに必要かもしれない、
そう思った出来事でした。

 

f:id:create_oba:20210515151442j:plain

ユーモアが老化をプラスに変えてくれる。

 

 

『歳を取る』というと、なにか奪われていく(取られる)ような気がします。
それがマイナスなイメージになるのでしょうか。
 あっ、でも、余分なものが削ぎ落とされるプラスなイメージもありますかね。

個人差はあっても加齢に伴う老化は誰にでもやってきます。

今まで出来ていたことができなくなったり、昔とは違う自分になっていきます。

老化現象は誰にでもあることとわかりながらも、なかなか受け入れきれずに、
どうしてもマイナスに捉えがちです。

そんな時、ユーモアがプラスに変えてくれそうです。

とても素敵なヒントをチャーミングな人からもらいました。

 

 

ユーモア
 
人間生活ににじみ出る、おかしみ。上品なしゃれ。人生の矛盾・滑稽(こっけい)等を、人間共通の弱点として寛大な態度でながめ楽しむ気持。
  1.  「―小説」
    ▷ humour

 

 

 

ユーモアがある人は、マイナスに感じることもプラスに切り替えられる、
どんなことも面白みに変えられる、
そんな臨機応変さが備わっているように感じます。

そんなユーモア、是非とも身につけたいと思うところ。
でも、なかなか高度な気もします。

 

ユーモアはどうやって養われる!?

柔軟な思考とフットワークの軽さ

弱点となりそうな老化の見方を変えることができ、
予期せぬ出来事にも軽やかに足が動く、
そんな柔らかさと軽やかさが、ユーモアには必要かもしれません。

知性

ユーモアは品のある笑いですので、知性を感じます。
知識と経験の豊富さが、自分の引き出しを増やしてくれます。
引き出しが増えることで、色んなことに対応できるようになり、
思いも寄らない出来事にもユーモアで返せそうです。

視野の広さ

知識や経験が豊富でも物事を見る範囲が狭いと、
なかなかユーモアも生まれません。
物事を広く捉えることができると、
ユーモアをここぞというときに発揮できそうです。

自由な発想

固定観念は言動を狭めてしまいます。

以前に私はこんなことをツイートしました。

 

 

常識も変化するし、自分だけの常識も存在する。
そう思うと、自分の常識は当たり前ではないんだと、
周りの人を受け入れる範囲も広がり、自由な発想でいられるような気がします。
その自由な発想が、ユーモアを作ってくれそうです。

愛すること

歳を重ね、老いていく自分を責めることも悲しむこともない。
そんな自分も愛する。
そして、様々なことや人、ものに愛情を込める。
愛ある言動が、ユーモアを育ててくれると思います。

 

ユーモアがもたらす効果

ユーモアが豊かな感情を作り、表情豊かな人にしてくれます。

その豊かさが、年齢を重ねた人の美しさだと思います。

老化なんて気にならなくなるかもしれません。

ユーモアを持とうと思うと、重い気持ちも軽くなり、
ポジティブになれる気がします。

 

 

『ユーモア』

 

 

歳を取るのではなく、重ねていこうという前向きさを誘ってくれ、
それは周りも和ませる、なんて素敵なことなんだと新たな発見が出来ました。

 

これから私は、年齢とともに変わりゆく姿に、
「あらあら」とユーモアで笑い飛ばしていきたいと思います。

素敵なおばさんを例えるのなら、アルデンテのパスタ。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

先日、とても素敵な人を見かけました。

 

そういう人を見かけると、私は釘付けになってしまいます。
正直、見すぎて失礼なくらい。

そんなとき私は、声に出して伝えたくなります。

 

「すごい素敵です!」

 

そんなふうに声を大にして言いたくなるような素敵な人は、
決して見た目のタイプが同じというわけでもなく、年代もまちまちです。

でもその魅力は、どこが共通点があるように思います。

彼女たちのどこに魅力を感じているのか、どんな共通点があるのかを探って、
素敵な人ってどんな人なのだろう、ということをまとめたいと思います。

 

f:id:create_oba:20210503164840j:plain

素敵なおばさんの定義

 

素敵な人たち=素敵に歳を重ねている人として、
プラスなイメージをあえてここでは、
素敵なおばさんと呼びたいと思います。
おばさんのマイナスイメージが少しでも変わりますように、心を込めて。

 

 

 

 

素敵ななおばさんは、やっぱりおしゃれ。

そのおしゃれは、決して流行に媚びることなく、
若者ファッションに寄せることもなく、そして飾りすぎず、
自分の好きを上手に着こなしています。

「着こなしている」という言葉よりも「馴染んでいる
と言ったほうがいいかもしれません。

自分の好きな服=似合う服とわかっていて、
服もその人を好いている感じがします。

自分の心地いいを理解し、ファッションを見せるのではなく、
ファッションを受け入れているように見えます。

その人と服との間に温度差はなく、ごく自然な感じが、
スタイルある人』を感じさせます。

 

素敵なおばさんは、整っている。

身だしなみ。
それは身なりを整えること。
服装や髪型を整えるのはもちろん、言葉や態度を整えることも含まれますよね。

そう、素敵な人は整っています。そして清潔感があります。

身だしなみを意識したり、清潔感を保てているのは、
心の余裕も備わっているからだと思います。

 

素敵なおばさんは、自然である。

目を引く要素があるのに、おしゃれにしても身だしなみにしても、
ごく自然です。

加えることと省くことのバランス感覚が抜群です。

ファッションが馴染んでいるのも、
メイクや髪型が「バッチリ決めています!」というよりも、
「きちんと整えています」という感じも、
自然という言葉がぴったりな感じがします。

 

素敵なおばさんは、芯の強さと柔軟さを兼ね備えている。

見かけた人というだけですので、
もちろんお話をしたことがあるわけでもないので、
実際にどんな人なのかはわかりません。

ですが、自分を持った芯の強さを感じます。

それは傲慢でも身勝手でも堅物でもなく、

いつでも相手に合わせられる柔軟さも兼ね備えている、

そんな雰囲気を持っています。

 

素敵なおばさんは、常に微笑んでいるように感じる。

その人の持つ雰囲気は、一瞬でも感じ取れます。

人はひと目で喜怒哀楽のどれか、もしくはいくつかに例えられます。
第一印象というやつでしょうか。

にこにこしている人、
楽しんでいる人、
哀しみを抱えている人、
いつも怒っていそうな人。

そして、私が素敵だなと思う人は、
喜怒哀楽を持ちながらもそれはほどよく、
いつも微笑んでいそうな雰囲気を持っています。

 

素敵なおばさんは、アルデンテのパスタ。 

さて、私が素敵と感じるひと。

ひと言で例えるならば、アルデンテのパスタです。

イタリア語「al dente」の意味を調べたところ、
歯ごたえのある」という意味だそうです。

そして、アルデンテに仕上げるのには、塩加減がポイントです。

そう、なんか味わい深い感じが、素敵な人の私のイメージです。

ほどよい塩加減を感じる味わいと、表面の柔らかさにちょっと芯がある感じ
様々なソースと馴染んでいるようで、染まりすぎない感じ

そんなところが、彼女たちと似ていると感じています。

 

 

私は、まだまだアルデンテよりも固すぎます。
一生懸命にアルデンテを目指しすぎて固くなってしまうことがあります。
固すぎるから、塩加減と湯がく時間をもっと増やすと、
今度は柔らかすぎてソースに頼るばかりで自分がなくなります。
加減が難しいです。

 

それは、芯の強さと柔軟さ、喜怒哀楽との付き合い方、整えること、
全てのバランスがまだ自然ではないことを意味しています。

 

 そして、私が好きな服を着ると、
「この服素敵でしょ!この色いいでしょ!」って、
見せつけているかのように自然な溶け込みがまだ足りません。

自分ではそんなつもりがなくても、
服の方がまだ受け入れてくれていないようで、
まだまだ、服とのコミュニケーションが足りないのかなと感じています。

  

『素敵なおばさん』

 

共通点は、アルデンテのパスタ。

そして、私が目標とするものは、アルデンテのパスタです。

 

これからも私は、アルデンテのパスタを目指して、
塩加減を調整していきたいと思います。