おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

些細な出来事からパフォーマンス力の大切さを知る。

みなさん、こんにちは。やっこです。

ある日、届いた荷物を宛名の人のところまで運ぼうとしたときのことです。
その日に届いたダンボールは、私がめいいっぱい手を広げて抱えるくらいの大きさだったので、運ぶのを諦め、宛名の人に届いていることを伝えました。

すると、その人は、
「〇〇さん、力がないからね」
と一言。
瞬時に私は、
「そうなんです、私、か弱いですから。」
なんて、ベタベタな古臭い交わしをしました。
(今どき、こんな風に言う人います?自分で言って少し恥ずかしくなりました)

この何気ない会話。

ちょっとしたただの会話ですので、いつもならこれで終わってるところですが、
今回は、このような何気ない会話を深堀りして、新たな気づきを見つけてみたくなり、些細な会話でちょっと遊んでみたいと思います。

 

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 この荷物の宛名の人ですが、最近、ダイエットを兼ねて体を鍛えることにハマっています。週末には自転車を何十キロと走らせ、食事にも気をつかい、プロテインの飲み比べをしているようです。
その努力もあり、周囲がすぐに分かるくらいに痩せましたし、筋肉質な見た目になってきました。
この話題はちょくちょく出てきます。
効果が現れると誰でも話したくなるものですよね。

とすると、そこから読み取れるその人の「力がないから」発言は、
「〇〇さん、力がないからね。自分は筋力をつけているけど。」
という続きがあったのかもしれません。
確かに私は見た目に筋肉質とは言えませんし、筋肉量が多くありません。
ただ握力だけは昔からあって、1、2年くらい前に握力を測ったときも、利き手ではない方でも30kgを超え、年齢の平均値よりも高かったくらいです。
そして、一応は定期的な軽い運動もしています。

ということで、この何気ない会話のやりとりは、私の筋力のなさを指摘されたというよりは、鍛えているその人を持ち上げる会話、だったのかもしれません。

たった一言ずつの会話でも、相手の人柄や、いま興味があること、自分が思っていた会話と相手の思う会話の違いなど、なかなかおもしろい発見があります。

 

そして、また別の日の出来事。

私は、階段の上がり方に密かなこだわりを持っています。
ひとつは、あまり音を立てて上らないようにすること。
もうひとつは、背筋を真っすぐ伸ばし、ヒップアップ効果を期待して、
下半身に力を入れてゆっくり上がることです。
毎日必ず上り下りする階段。
面倒がらずに小さな楽しみを見つけたいと続けていることです。

また、ある人は、早く上り下りすることにこだわりを持っています。
瞬発力を重視しています。

すると、瞬発力重視の人が私の行動を見て、
「階段を上がるのがつらい人」
と見えるようです。
これもまた「筋力がないから」と、指摘を受けました。

これには自分でも驚きました。私ってそんな風に見えてるんだと。
私がプラスの効果を見込んで行動していたことが、
他の人からはマイナスに見えていたんです。

この違いもなかなかおもしろいなと思っていて、他の人から見た自分で、
違う自分が見えてくる、新たな発見です。

 

さて、この2つの出来事ですが、悪い方向に進んでしまうと摩擦が起きます。
相手の言葉をそのままマイナスに受け止めてしまうと、相手に不快感を覚え、
自分は傷つけられたとなりがちです。

ただ、人それぞれ、物事の見解の違いがあるとわかると、相手の新たな部分、
そして、他人から見た自分など、新たな発見ができるかもしれません。

よく、相手に伝えるときは、
自分の思いを120%の気持ちで伝えないと相手には伝わらない
といいますが、本当に伝えたいことを表現することはとても難しく、
食い違いが生じてしまうことがあります。
難しいからこそ、楽しいことでもあります。

また、よく勘違いされる人、自分の意図することとは、違う受け取り方をされて、
批判される人は、パフォーマンス力が足りないのかなと思います。

私の階段での行為でさえ、全く違う見方をされてしまうのですから、
どう見せるか、どう表現するか、表現力を意識した言動、
そういったパフォーマンス力は大切だなと感じました。

 

みなさんも、「相手の言動から自分を紐解く、新たな発見をする」遊び、
たまにはいかがですか?

服の見極め 〜服からのプレゼンを聞いて服との会話を楽しむ〜

みなさん、こんにちは。やっこです。

3月。そろそろ桜の開花が待ち遠しくなってきました。
春を感じる日も少しずつ増えてきて、そろそろ衣替え第一弾をしようかなと考えています。

さて、みなさん、服の手放し方、どうされていますか?

私は丸一日かけた大イベントで、服からのプレゼンを聞く日です。
服の見極めは、服からのプレゼンを聞くことと思っていて、服と会話しながら選別していきます。

そんな私の服の手放し方をご紹介して、みなさんが楽しく衣替えができたらなと思っています。

 

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まず、自分の心に聞いてみることから始めます。


ひとつずつ服を手に取り、「心躍るかどうか」を自分に聞いてみます。
その服を着ている自分を想像して、楽しい気持ち、ワクワクする気持ちになったら、
それは、本当のお気に入りで、もちろん来年もお世話になります。

ただし、少しでも頭で考えてしまうような服、好きかどうかに迷いがある服は、服のプレゼン待ちへと回します。

もちろんこの段階で、興味が全くなくなってしまったものは、手放すことにします。

 

ここでポイント!

「使えそう」は「着ない」

私は、「これ、使えそう!」と思って買った服は、今までの経験上、たいてい着なかったりします。
さすがに学習してきたので、そう思ったときはその服は買わないようにしています。
ですので、衣替えのタイミングでも、具体的なコーデが思いつかないのに、
なんか使えそう」「いつか着るはず」は、「着ない」の合図だと思って、手放すようにしています。

 
さて、ここから迷いのあった服のプレゼンを聞いていきます。

 例えば、セーターからのプレゼン。

【今季、私の出番はかなり多かったわよ。秋から本格的な冬になるまでは、肩にかけたり、首に巻いたり、ストール代わりにしていたし、あのパンツに合わせたり、あのスカートに合わせたり、着回し方も色々あったよね。私は流行り服でもないから、来年もきっと活躍するわ。】

【私は今年からの新人。今の感じかなって手にとってくれたけど、私は知っているわ。あなたがそんなに気に入っていないことを。来年は出番がなさそうよ。】

【ご無沙汰しています。私がいた事覚えていた?去年の今頃も久々にお会いして、来年こそ密なお付き合いをしましょうと約束したのに、今年もお付き合いできなかったわ。そろそろお別れの時ね。】

【私はあまり出番はなかったかもしれないけど、こんなコーディネートを気に入っていたし、こんなコーディネートもできるわよ。この着方は何年も変わらないお気に入りコーデなはず。きっと来年も気になる存在になるわ。】

などなど。

 その服とのこの半年の思い出を振り返りながら、選別していきます。

この方法、ちょっと怪しい空想だと思うかもしれませんが、服と向き合い、客観的に自分を見る方法なんです。

いつ見ても心躍る服は、本当の自分の好みですが、着るかどうかわからない服、具体的なコーデが思いつかない服、いつか着るだろう服は、なにか理由をつけて、
例えば、
あまり着ていないからもったいないとか、高かったのに手放すのは気が進まないとか、なかなか手放せません。

本当は、もう手放してもいいかなと思っていて、だけど「嫌い」とか「いらない」というような、はっきりした理由を持つまでは、手放せなかったりします。
でも、それは手放しているのと同じです。
また、それが流行り服だとしたら、流行の服は熱しやすく冷めやすいもので、もう冷めてしまっているかもしれません。

冷静に判断をするために服と会話します。
会話をするという感覚で選別すると、自分ともうひとりの自分が、衣替えのイベントを楽しく、整理してくれます。

こうして衣替えを済ませておくと、来年は自分の好きが集まったクローゼットができ、自分スタイルが持てて、服選びも楽にでき、その服を着ると楽しくなると思います。

みなさんも今年の衣替えは、服と自分の1対1で向き合ってみてはいかがですか?

急ぐのをやめた。でもまだスピードが落とせない。

みなさん、こんにちは。やっこです。

さかのぼること、20年前。
私は、ある出来事をきっかけに、生活にスピードが必要になりました。
過去を忘れ、今をおざなりにし、未来の私に期待をし、早く先に進みたくて、
早く未来がきてほしくて、未来へと生きることにスピードを求めました。
早く今が過ぎてほしいと願っていた時期があったんです。

 

みなさんにも、そんな経験がありませんか?

 

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社会人になって、追われる仕事に、スピードが必要に迫られるようになった。
家庭と仕事をバランスよく生活するために、スピードが必要になった。
子育てに慌ただしい毎日になった。

あれもこれもと色々やることが増え、なんだか急ぐことが当たり前の生活に
なっていること、そんな毎日を過ごしている方も多いのではないかなと思います。

 

でも、ふと我に返りました。

 

今の私、急ぐ必要ある?

 

そう気づいた時、子供の頃の自分を思い出しました。

小学生の私は、硬筆の授業でていねいに字を書くことに時間を取られ、授業内で終わらずに休み時間までずっと書いていたこと。
中学生の私がスキー教室に行った時、最終日にポールをくぐりながらタイムを競う大会で、私はスピードを競うことを忘れ、確実にきれいにポールを回っていくことに集中。そして、先生の前を通り過ぎる時、「これはスピードを競う競技だぞ!」と叫ばれたこと。

 

 そう、私は急ぐタイプではないんです。

でも、その時の状況などでスピードが必要になって、そうせざるを得なかったんです。

何事も手際よく、効率よく、生活にストップウォッチが必要になったかのように、私は急いでいました。そうしないと毎日についていけなかったし、急ぐことで今が早く過ぎてくれて、私の思う未来へと早くたどり着けると思っていました。

でも、今の私は20年前とは状況が違います。

前の自分と違う状況は、だいぶ前からそうであったのに、私はスピードを落とすことを忘れていました。
というより、落とせなくなっていました。

そんなに急ぐ必要もないことにも何だか忙しなくしていたりして、
ふと、
「あれ?そこまで急ぐの?」
なんて、我に返ることが多くなりました。
なんだか、そんな自分が正直アホっぽく感じることがあります。
忙しいと思い込んでしまったり、自分で自分をあおってしまったり。

 

私はいつも感じています。みんな忙しいなと。
急ぐ必要があって忙しいのか、周囲にあおられて忙しいのか、忙しいのが好きで忙しいのか。

人それぞれ、それぞれのスピードがあります。

でもそのスピード、たまには落としてもいいと思いませんか?

もちろん、周囲に迷惑のかかるスピードは、あまりにも自己中心的すぎるかもしれません。流れというものもあります。

でも、みなさん、少し立ち止まってみてください。

もしかしたら、そこまで急ぐ必要がないこと、実はもうちょっとスピードを落としてもいいこともあるかもしれません。

そう気づくと、少し心のゆとりが出てくる気がします。

そして、新たな発見ができるのかなと思います。