みなさん、こんにちは。やっこです。
前回、前々回と『「オバサン」はなぜ嫌われるか(田中ひかる)』を読んで感じことをまとめています。
今回は「悪意を込めて呼ぶ「オバサン」について考えたいと思います。
私は「オバサン」のイメージが悪すぎる!と常に感じており、このブログ、
「おば革命」もイメージを変えたいという思いから始めました。
そしてイメージが悪い答えがこの本に記されていました。
まずはこの本に書かれていたことを簡単にまとめてみます。
- 「オバサン」とは、女性らしさを放棄した人のこと。
- 女性らしさを保つメリットよりコストが上回ったときに女性らしさを放棄し、
「オバサン」になる。 - 周りからよく思われたいというこだわりを持っていなく、効率性重視。
- そのためオバサンは図々しいというイメージが強い。
女性らしさを保つために女性誌や化粧品広告などが脱オバサン化をメインテーマとし、ますます若くなければならないという思い込みが植え付けられる。
そして「オバサン」になることが悪となる。
若く美しくありたいと努力している人にとって「オバサン」は、その人を全否定する差別用語であり、男性がハゲを気にするのと同じことである。
また、物や人に対して野暮ったいことや垢抜けないことをオバサンぽいと表現し、
「オバサン」を何かと多用するようになったことにより「オバサン」が悪となった。
これが、答えでした。
本来の意味の「おばさん」は単に中高年女性を指す呼び名で、愛着を持って「おばさん」と呼んでいました。
しかし、街中で目にする脱オバサン化の広告や言葉の多用により「オバサン」が悪意を込めて呼ぶものとなってしまいました。
そしてそのイメージが判断材料となり、オバサンは存在してはならないものとして誰もが若くなければならないと思い、社会も若いほうがいいと思い込んでいます。
最近ではSNSも脱オバサン化を促しているように思います。
インスタでは、一般の人が若々しく美しい容姿を公開し、子育てに料理、仕事と器用にこなす姿がアップされています。
以前なら、テレビや雑誌などで輝かしい芸能人が存在し憧れることはありましたが、今では一般の人もとなると、そうなりたいと憧れるよりも同じ一般人としてそうでなくてはならないと思ってしまうようなことさえあると思います。
そしてますます若さへの執着が生まれてしまうと感じています。
中年の私が言うとただの開き直りにしか聞こえないかもしれませんが、
若いはそんなに貴重なのでしょうか。
コロナ禍でマスクをしてても若く見える研究をしている友人や、40代用シートマスクパックを毎晩する私は、若さに執着をしているのでしょうか。
若々しくいよう、美しくありたいとすること自体は素敵なことです。
しかし、年齢に逆らうことばかりに執着をしてしまうと、歳を重ねることがいけないことだと勘違いをして苦しくなってしまいます。
若々しくあることを今の自分を最大限魅力的に見せることと捉えるのがいいのではないでしょうか。
私は40歳を機に年齢と性別を解放することにしました。
もちろん年齢を聞かれれば、ごまかすことなく嫌がることもなく答えます。
女性でなくなったのかと言われればそうでもありません。
年齢と性別で自分から自由を奪うくらいなら、そこにこだわる必要ないと思っていますし、一人の人として社会に存在したいと願う私の些細な抵抗かもしれません。
一人の人として生きるとしたとき、その色付けは若さや女ではなく、人としての成長であると気づきました。