おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

「若い!」は褒め言葉!?

こんにちは。やっこです。

さて、今日は「若い」が褒め言葉になるのかという私の疑問です。

誰もが「若いね!」と言われると嬉しくなると思います。
でも私は最近、「若い」と言われて喜べなくなってきました。
「若いね」と言われると「未熟者ね」と言われているような気がして
素直に喜べないんです。
だいぶひねくれ者です。

ここ数年若さについて考えていましたが(40歳を手前におばさんと若者の境界線を
感じるようになってきた頃からでしょうか。。。)

以前なら、
若い=実年齢よりも若く見える(若々しい)
という意味が込められていると思っていましたが、

最近は、
若い=幼い=未熟
と思うようになりました。

『若い』という言葉には、『心身ともに元気がいい(=若々しい)』と、
『経験が浅くのびしろがある(=未熟)』というような意味がありますよね。
そう、私は後者の意味に捉えるようになったんです。

さて、そう思うようになったのには色んな私の思いがあります。

私が一番問題だなと感じているのが、
「若いが一番!」とされる(見た目が若いと魅力的、実年齢が若いと社会で
重宝される)世の中。
そんな中で、若さをいかにキープできるかが競われ、若く見せることに
必死な感じがしませんか?
ある意味のプレッシャーです。
ファッションに美容に健康、とにかく若さを保たなくては、見た目に若くいなくてはと、「若さ」を基準にすべてを考えているといっても大げさではないような気がします。
少しでも気を緩めると老化街道まっしぐらな気にさえなります。
でも20代をキープするのは難しい、というより無理がありますよね。
かなりの意識がなければ自分の思うところでとどまってはくれません。。。
特に身体は。
頑張りすぎて疲れて余計に老け顔!?なんてことになったら
何のためにがんばっているのだか。。。

そんな中、取り入れやすく、若く見せるには「ファッション」なのかなと思います。

しかしここが要注意!だと思うんです。

たしかに若々しい格好をしていると印象は違うかもしれません。
だけど、無理に10代や20代と同じようなファッションをしていても
若づくりにしか見えません。
もちろんどんな服でもその人に似合っていればとても素敵で若づくりしている
なんて誰も思いません。
しかし、年齢とともに体型も変わってくるし、太っているとかいないとか関係なく、
脂肪のつく箇所が変わります。そして肌色も変わるし、肌質も変わります。
年齢とともに変化していく中で、10代20代と同じ服を着てても魅力的には
見えないと思うんです。
そう、自分と服の境目が大きくなればなるほど違和感となり、
老けて見えてしまいます。
そこが「未熟」に見えるポイントかなと思うんです。
若い服を選ぶのではなく、自分が魅力的に見える服を選ぶのが大事だと思います。
もちろん「スタイル」を見つけるのは簡単ではありませんが、
自分のスタイルを見つけてしまえば、自分の好きな服装を心地よく楽しめる
と思います。
そんな気持ちが若さとなって素敵に見えると思っています。
服装の取り入れ方大事ですね。

さらに、「若い」という言葉には「心身ともに元気がいい」という意味があると
先ほども書きましたが、「見た目」(=ファッション)でカバーするよりも
「心身」(=自分自身)に目を向けれる方がより素敵になれるように思います。

若くいたいがために成長をとめてしまっていることありませんか?
今の自分と向き合わず、昔の思いのままでとどまっていませんか?

たしかに今の自分も自分の心地よさを探した上での今であって、今のままの方が
心地良かったりします。楽ちんです。
でもそのまま時が過ぎれば気づかないうちに少しずつ老いてしまいます。
そのことに気づかいないで気持ちだけはある年齢で止まっていて、
そのうち歳を重ねた年数と気持ち年齢に大きなギャップが生まれます。
そのギャップこそが「未熟」に見えてしまうのではないかなと思うんです。
その「未熟」を「若さ」と勘違いしてしまう。。。そんな風に思うんです。

歳を重ねていくごとに知識や経験が少しずつ増えていくことは脳の成長になります。
脳はいくつになっても成長するそうです。
筋トレのように鍛えれば、それに答えてくれるそうです。
いつもの生活に少しの変化を与えるだけでも脳は活性化されるそうです。

40歳を過ぎれば今までの経験や性格が顔に現れてくるといいますよね。
未熟な若さではなく、日々の成長、小さな経験が自分に刺激を与え、
歳を重ねても魅力的に見えると思います。 

若々しく魅力的であるポイントを少し変えてみると素敵なおばさんの始まりです。