おば革命

歳を重ねることは楽しい! 『オバサン』のイメージを変革

歳を重ねることは楽しい!『オバサン』のイメージを変革

頑張り過ぎたら、組織のはみ出し者になりました。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

突然ですが、私はこの度、組織のはみ出し者になりました。

 

そんな組織のはみ出し者になった会社員の私が、
今回、仕事の向き合い方の失敗談を自分が思うままに綴っていきたいと思います。

失敗談というのが正しいのかどうかも考えましたが、
たどり着いた先が「ただのはみ出し者」でしたので、おそらく失敗談です。

ぜひ皆さんのご意見を聞かせてください。

 

さて、ここからはみ出し者の私の話です。

 

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組織からはみ出した私
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自分の常識がみんなの常識でもないと思えば歳を重ねるのも楽かもしれない。

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

休日の朝。
オープンと同時にスタバに行ったときのことです。
夏の強い日差しと朝の爽やかな風を感じるテラス席にいると、
中学生くらいの娘さんと、お父さんとお母さんの3人家族がやってきました。

 

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休日の朝のテラス席でのできごと。

 

トレイにのせられたカップがふと目に入ります。

トールサイズの紙コップが2つ。ひとつには豆乳シールが貼られています。
そして、ショートサイズのフラペチーノがひとつ。

何気なく目にしたその飲み物に私は、
フラペチーノが娘さん、豆乳シールがついた紙カップはお母さん、
と誰が出したわけでもないクイズの答えを勝手に心の中で答えていました。

 

さて、このシチュエーションで、
みなさんならこのクイズの答えをどう解きますか?

 

席に座ったその家族が3つの飲み物を振り分けた瞬間、
私は思わず声に出しそうになるのを抑え、心の中で大きく叫びました。

「え?!そうなの?!?!?!」

正解は、フラペチーノがお父さん、豆乳シールのカップが娘さんでした。

「まさかフラペチーノがお父さんだと思わなかった・・・。」

正解に驚き、そして、勝手に思い込んでいた自分にも更に驚きました。

ここで豆乳が娘さんだったことにもちょっと驚いています。

そして、勝手な思い込みに反省したのです。

 

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常識は常識でもない。
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服との向き合い方について考える。服への愛情表現がサステナブルに繋がるのか!?

 

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私なりのサステナブルについて。

 

みなさん、こんにちは。やっこです。

 

寒さが和らぎ始めた3月頃、衣替えの第一弾を行いました。


その時の記事がこちら。

create-oba.hatenablog.com

 

そして、7月。
梅雨が明けるのを待ちわびながら、夏本番に備えて、
先日、衣替えの第二弾を行いました。

毎度ながらの服との会話タイムです。

しかし、今回はいつもの服との会話だけではなく、
さらに服を減らすことにしました。

 

というのも、最近、アルデンテのパスタのようなおばさんを目指したり、

create-oba.hatenablog.com

 

おしゃれについて考えていたら、 

create-oba.hatenablog.com

服との向き合い方も少し変化が出てきました。

 

私の性格上、ミニマリストにはなれないし、サステナブルについて真面目に考える、なんて、今の時代をかっこよく突き詰めて生きることはできません。
そのへんはいつもゆるゆるです。

ですが、ファストファッションブランドが増え、服を買うこと、手放すことが安易になっていると感じる今、服好きを語るなら、もっと服に愛情を込めようと思うようになりました。

それが、粋なおばさんかなと最近は感じています。

 

服に愛情をかけること=着る機会を増やすこと

気に入った服は手元に置いておきたくて、衣替えのタイミングなどで服との会話を楽しみながら、今の自分の好きを散りばめたクローゼットを作れるよう、常にアップデートしてきました。
ですが、実はひとつ、わかっていながらもなんとなく目をつむっていたことがあったんです。服が好きなばかりに。

それは今の生活スタイルでの着る日数と持っている服のバランスです。
かなりアンバランスなんです。

今の私が私服を着る回数は、週に2日、1か月に約8日です。
1シーズン3ヶ月で計24日。連休を含めて多くても30日くらいでしょうか。

30日同じ服を着ないくらいの枚数、と言ったらかなり大げさですが、それに近いくらい私のクローゼットはにぎやかです。

そのおかげで服の痛みも少なく、きれいな状態でリユースへと回すことが出来ていました。
でもそれを言い訳に、観賞用の服が多く揃っていたのも事実です。

持っているだけでの自己満足で、結局出番のないまま来年へと持ち越す服も多々あり、今までの私はそれはそれで満足していました。
(おしゃれって自己満足な部分もあるし・・・)

しかし、最近は考えも少しずつ変化し、ただ持っているだけの自己満足は、一方通行の愛でしかないこと、服はくり返し着るからこそ着こなしも馴染み、自分らしさが生まれると考えるようになりました。

 

私の心境の変化を作った理由

愛情の欠落を感じる瞬間

ファストファッションブランドやリユースを扱う店、ショッピングモールなどでよく見かけるコスパ重視の店を見ていて感じたことが大きな理由です。

ファストファッションは流行の服が低価格で揃い、品数が多く、入れ替えも早いので、私にとっては刺激を求めて行く場所です。
何か新たな発見があるかもしれないという期待を込めて訪れます。

しかし、いつも気になっているのが服に対する愛情の欠落です。
どこか雑に扱っている感じがファストファッションブランドの私のイメージです。

店内に溢れかえっている服が、きれいにディスプレイされているというよりも、服の山になっているイメージで、そこに訪れる人たちも多くの服を見ようとするために、スピードが必要となり、丁寧に戻すことを忘れてしまっています。
そうするとまた山が出来ます。
ただの物と化している服をおしゃれに着こなせるのでしょうか。

そして、それはリユースを扱う店でも感じます。

服がたくさん溢れ、ぎゅうぎゅうに押し込めらたハンガーラックに息苦しそうにいる服たち。時には窮屈すぎて落下しているものもあります。
服を上手にリユースしようというよりは、誰かのいらないを放り投げた空間になっているだけのようにしか感じません。

とても残念に感じます。

コスパ重視のお店でも沢山の服が溢れています。
そして、すぐにディスカウント。その値引率は驚くほどのオフ率。その上、2点以上買うと更に安くなる場合もあります。
店内にあふれかえる服と人に、どこか違和感を抱きます。

人は物が溢れているとどうしても雑になりがちです。
もし店内に1点だけディスプレイされていたらどう感じるでしょうか。
それが安価なものだとしても、ものすごく価値のあるものに感じると思います。
そして、丁寧に扱わなければと思うはずです。

希少価値の高いものには丁寧に接するけど、見慣れたものには雑になってしまう

そういう心理を考えると、ファストファッションもリユースもコスパ重視のお店も、雑に扱ってくださいと言わんばかりになっているようにしか感じません。

それでいいのだろうか。

疑問に感じます。

 

サステナブルを考える。

以前にこんなニュースを見かけました。

 

 

私が高校生くらいから始まった古着ブーム。
その後、20歳前後によく通ったお店です。
懐かしさとともに、ただ懐かしい店なだけではない、今の時代を生きていることに、かっこいいと思い、感心しました。

 

私のクローゼットも同じなのではないかと考える。

さて、私のクローゼットです。
私は服をアートと考える部分もあり、素敵なものは持っていたい、と今まで思っていました。
ですので、着つぶすくらい着なかったとしても、私の好きが詰まったクローゼットができていれば、それで良かったのです。
しかし、ファストファッションブランドやリユースのお店を覗くたびに、乱雑な風景をみると、結局私も同じなのではないかと、ふと思うのです。
クローゼットの中で服が乱れたり、雑に扱ったりしているわけでもありませんが、ただの置物と化し、忘れてしまっているものもあります。
そして、今の私服を着るペースですと、そのシーズンに着るのは多くて2.3回がいいところ。それで服と会話は成り立っているのかと考えるようになりました。

今まで以上に服の数を減らし、着る回数を増やすことで、服とのコミュニケーションを増やしていこうと考えたのです。

 

今年の衣替え第二弾を終えて

今回、夏物は今までの半分くらいになりました。
服との会話を深め、ランキング上位のもののみにしぼりました。
残念なお別れをしたものもあります。誰かが喜んで着てくれるはずと期待して、リユースへと回しました。
そしたらどうでしょう。
クローゼットにもゆとりができ、それぞれの服の顔をしっかり見ることができるようになりました。
それでも私の私服を着る日数を考えたら、まだまだ多いのかもしれません。
だからといってミニマリストにはなれない私は、極限まで服を減らそうとは思いません。今は、今の状態がベストだと思っています。

 

服の買い方も見直す

これからも変わらず服を買うと思います。
服を増やさないという決まり事を作るつもりはありません。
よく、1着買うのなら2着減らしてからとか、買う前に自分のクローゼットを見直そうとか、何着しか持たないと決めるとか、色々なマイルールで服を増やさない、なんてこともありますが、そのへんも私は今まで通りゆるくいきたいと思います。
ただ、自分がほしいものに出会った時、今持っている輝かしき上位の物たちと比べて、その服は何位になるのだろうかと考え、選別しようと試みていきます。
今ある上位よりも下回るような一時的な感情だけで買うことは避けていきたいと考えています。
買うときにも服との会話を深めてからにしたいと思います。

 

服との向き合い方。

 

私の思いはまだまだ続きます。